私は生命に優越はなく、「生きとし生けるもの」として植物も動物も、基本的に人間の生命と同じくらい大切だと考えている。ましてや、犬は人間との共生によって進化してきた動物種であり、その保護は人間の責任であることは疑いない。動物進化の責任、植物の多様性保護の責任が人間にはあると信じている。
…のに、ドックトレーニングでは先生に叱られます。
「中西さん、その抱き方だと犬の身体を痛めます。暴れて落下させたら命にかかわります」
「そのリードの持ち方だと、犬のお散歩が自殺行為になります!」
「そのハンドリングでは、犬が不安を増大させて、ノイローゼになります!」
ええ、理想は高く、美しくなのに、実際はワンちゃんの生命を危険にさらす行為をしてるのですよ、私は!オーマイゴッド!
でも、これってあるあるです。理想は高く、美しくなのに、現実は正反対のことをしている。対話を理想として活動しているのに、家では夫婦の会話がないとか。
意志と愛情、そして行動/行為が統合していると「自然体で魂とのつながりを生きている」と言われます。私は犬に対して「いい飼い主になりたい」という意志、その愛情はたっぷりですが、まだ行為が…( ;∀;) ただ意志をもって努力を継続すれば、いつか行為とも調和してくるでしょう。理想高く、犬への愛情は深く、そして行為は美しく。そんな飼い主になりたい!
で、エナジーワークでも同じです。
「魂につながる生き方」とか「魂を生きる人になる」という美しい理想が大切だと知っていても、瞑想が5分と続かなかったり、不可視のエネルギーに心を開いてなかったり、人に魂のことを話せなかったり、現象界の出来事に一喜一憂したり…。これも理想は知っていても、行為が証明していません。残念ながら、いるいるです。
エナジーワーク、特に年間コースでは試されます。そして、それは最初から瞑想が出来るものではなく、365日かけてゆっくりと「できる」を目指したらいいのです。
意志と愛情、そして行為/行動も同じく等しく整ったとき、瞑想が苦行ではない自分、現象界の出来事に影響を受けすぎない自分が誕生しているでしょう。
私の大計画では・・・犬をしつけ、人間が生きる世界に健康的に適応できる犬を育て、愛情をこめて共生を楽しむ人生を生きている私に出逢える!私の一年がかりのワン🐶ダフルなプロジェクト。
魂の忍耐力〜あなたが自分の忍耐力を信頼できなくても、魂の特性は信用してよい。その特性とは、今世のあなたが失敗しても、来世もまた同じチャレンジを続ける魂の忍耐力である。
人はテーマを変えながら「意志と愛、そして行為/行動」が整うように、キリスト教でいう三位一体、仏教でいう仏の三身、神道の三神…何度も何度も三角形を作り続けるのです。理想の主張で終わらず、美しい行動や行為にまで理想が体現できるようになったら、「神は細部に宿る」でしょう。
私は瞑想や叡智の学習では、三つが整ったと感じるので、次なるチャレンジは犬を通じて動物界での三位一体です!
自分にもエールを、みなさんにも沢山のエールを🌹
追記:動物界で思い出しましたが、全国の熊による被害。これも理想だけで語られることが多い。たとえば「テレパシー」で熊と対話できたら、人間界に来ないように言えることができる…という。確かにそれは理想だけれど、テレパシーという行為の努力を続けている人(端的にいえば日々瞑想している人)、どれだけこの世界にいるのでしょうか。