top of page
執筆者の写真中西れいこ

エナジードックワーカーVol. 3

久しぶりにドックトレーニングの話題です。7月になってカリキュラムの半分が終わり、後半戦、そしてその先の卒業試験、またその先の国際資格と、わんちゃんと向き合う道は続きます。


ごはんを食べる前の「おすわり・まて」はドックトレーニングとして意味がないこと、自然災害の日本において見直されるべき犬の飼い方…など、「知らなかった!」ことを座学で学んでいます。同時に、トレーニングの実践では、先生に何度も叱られるくらい失敗も多く、ため息も溢れるダメダメな生徒です。



でも、この「はじめてのことを学ぶ」ことを50歳半ばすぎて、自分よりも若い先生から厳しく叱られながら学ぶことは、人生でそうはない「自分と向き合い、今の自分を超える機会」です。自分の弱さから逃げなければ、叱られることは本当にありがたいチャンスだと思います。


エナジーワークでも、秘教学でも、私は「視えない世界のことはすぐにわかり、実践できる人間」です。だから、このスピリチャルな世界にだけいては、自分が天狗になりダメな人間になると思い、「まったくできないし、わからない」ドックトレーニングの世界に飛び込んだのかもしれません。そして犬への愛情はものすごくありますが、愛情があるからこその間違いや失敗を先生に叱られます。


今まで積み上げてきたプライドが一瞬で崩れる体験をしてますが、私は泣きませんし、落ち込みもしません。なぜなら成長するチャンスがあることに、感謝しかないからです。



スピリチャルな世界は、どこか「愛がすべて」という風潮があり、社会で傷ついた自己価値を癒したい…無意識の欲望から、スピリチャルが利用されることもあるようにも思えます。「自分の安らぎの居場所」であり「社会からの避難所」としての役割をスピリチャルな世界は担っているように思います。


もちろん、それが悪いわけではありません。人生のどこかで、それが必要になる時もあるでしょう。でも、いつしかその場が「ぬるま湯」になって、居心地がよいがゆえに、自分の成長を手放してしまう「怠けられる場」になるのであれば、そこを離れなくてはならない日もくるのではーと思うのです。それは生徒だけでなく、講師にも必要な意識かもしれません。


自分が作る場が成長から怠けるための避難所になっていないか?その講座をうけた事実だけで「何者かになったか」かのような錯覚ーイリュージョンを与えていないか?

エナジーワーク年間コースの参加者には「一日一回の瞑想」が義務付けられています。しかも5分や30分の瞑想ではありません。クラスを受講しただけで「瞑想が出来るようになる」ことはないので、一年間365日、自分の弱さと向き合い乗り越えるしかありません。瞑想をしていないと、透視できる人にはすぐに分かるので誤魔化せず、年間コース中は葛藤が生じる毎日でしょう。


乗り越えられない自分を泣いてさらけ出しても、結局は「明日から瞑想やるの?やらないの?」という問いに戻るだけなので、泣くことは自分のためにも、誰のためにもならないことに気づきます。ここで「自分を超える体験ができる喜びと感謝」を受けいれることができたら、エルダーシップへの旅は始まります。


だから、このエナジーワーク年間コースに参加して、一年が終わるころに長時間の瞑想ができるようになった方は、意志と忍耐力、そして自己信頼が育まれ、それぞれの生きる場でエルダーシップが発揮できるようになるでしょう。かっこいいビジョンや正義正論を学ぶよりも、瞑想が最低でも30分はできるようになるほうがエルダーシップには近道です。


「上手くトレーニングができなくてワンちゃんに申し訳なかった」とポツリいった私に、「上手くなりたいか、なりたくないかーだけですよ。クラスレッスンくらいの出来事なら犬はすぐに忘れます」と先生は言いました。「わんちゃんは守ってあげなければならない弱い存在」という愛情がゆえの私の幻想(思い込み)が、今日もまた一つ消え去りました。




追記:ちょうどエルダーシップの講座に参加するか?で悩んでいる方から相談をうけたので、「プログラムに瞑想は組み込まれている?組み込まれてないなら、頭でっかちになるだけだよー」と伝えました。リーダーシップは「行動とビジョン」なので瞑想は必須ではありませんが、エルダーシップには「行動やビジョンを越えたグラウンディング力と直観」が必須です。このグラウンディング力と直観は瞑想によってしか育まれません。



閲覧数:52回

最新記事

すべて表示
bottom of page