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執筆者の写真中西れいこ

みたくないものがみえてしまう~サイキック現象について

エナジーワークを学ぶ方のなかには、憑依に悩んでいる方、みたくないもの(多くが亡くなった方や死後の世界に関係するもの)が見えてしまう方が、稀にいらっしゃいます。


それはエナジーワークの透視、エネルギーが観えるクレアボヤンスーとは違って、闇のエネルギー、または死後の世界の情報であったり、土地に縛られている地縛霊を感じてしまう行為です。つまりは「見たくもないものが、勝手に見えてしまう」という状況を、昔は霊媒、専門用語では「低位サイキック」と言います。





低位というは、程度が低いというよりも、高位であるヘッドセンター(それは単に体の上にあるという意味での高位)に対して、身体の低い位置にある太陽叢をつかってみるために「低位サイキック」と言います。このような「みたくもないのにみえてしまう」エネルギーは大抵、太陽叢から入り込み、だんだんと体全体にエネルギーを広げ、最終的には頭の中心にも居座り、身体のみならず意識ものっとることで情報を伝えます。


よって、彼らの「みえてしまう」は、エナジーワークの「頭の中心での直観力をつかい、距離ある場所にあるエナジーを観る透視」ではなく、「自分の体に他のエネルギーを入れてしまうことで、肉体の神経が感じる結果」として起こることです。


エナジーワークが分離感ある透視なら、低位サイキックは直接的な超感覚です。


エナジーワークでは相手のエネルギーを自分の体内に入れることはしません。自分を守る結界、相手からのセパレーション方法を伝えるので、危険なことはありません。また太陽叢を大切に扱うヨガや武術がありますが、それは「余計なエネルギーを体に入れ込まない。太陽叢を自分で守る」ためにも開発され、理に適った方法で自分を守れます。

余談*太陽叢に「魂の座がある」という情報は、古い情報です。(長くなるので書きませんが、それこそレムリア、アトランティス時代の情報であり、その当時は正しい情報でしたが、人間意識の進化に伴い叡智もアップデートされています)




話を太陽叢から低位サイキックに戻すと、彼らの多くは「どうしてみえてしまうのか」と悩みますし、みえてしまったものを解釈できる知識がないため、人生や心理状態が不安定になることもあるでしょう。学校では教えない情報であり知識ですから、致し方ありません。


私はメンタルヘルスの観点から、このような低位サイキック現象は少なくなるようにーと願っている者です。稀に「見えてしまう能力」を特別視させ、その能力を開発するように煽る商売もありますが、「自分以外のエネルギーを取り入れることで肉体に起きる危険性」という観点から、開発はお勧めできません。一時は「特別な能力」という自己承認が満たされ人生が明るく感じますが、身体的のみならず心の健康にとって負担が大きくなり、(その状態が長く続けば)魂の志が果たされずに人生を終えることにもなるでしょう。


「どうしてそのようなサイキック能力が自分にはあるのか?」…という問いに、「あなたは特別な人だから」という答えが戻ってくることを望む人は多いのですが、残念ながら叡智をもとに答えれば「見えてしまうのは、肉体の主になっていないから」という答えになります。


そのようなサイキック能力がある方に、エナジーワークをお勧めしたい理由は、エナジーワークでとても大切にしているのが「体の中に(頭の中心)に自分の意識を固定化させること」であり、仮に体の外に出てしまっても「気づいて戻る」ことを推奨するからです。自分が「自分の体の主」になるトレーニングが、エナジーワークといってもよいでしょう。





長くなるのでここでは触れませんが、物質界ではない次元には、いつでも「体がほしい」と願っているbeing(闇のエネルギー)がいて、身体に本人の意識がない時に、勝手に入り込んで居座り続けることは、そんなに珍しいケースではありません。10人いたら1人は「あーいれてるね」という人はいます。


肉体は(誤解を恐れずにいえば)「容器」であり、魂にとっては「道具」です。そこに入るべきは自分の魂のエネルギーであって、他人のエネルギーではありません。まれに事件や事故など、つらい体験をした方は、肉体にある記憶を消したいがために、肉体の外へと自分の意識を逃がし、そのすきに他のエネルギーを自らが招待して入れ込んでしまうこともあります。その時こそ高位サイキックの透視者(エナジーワーカー)に状態を確認してもらい、必要ならヒーリングなどの施術をうけるのがよいでしょう。


しかし結局のところ、エネルギーは常に動いています。誰かに常に守ってもらうのは不可能なので、自分で自分を守るという概念は非常に大切です。エナジーワークでは、その技術を教え、自分でワーク(瞑想)して、「自分の体の主」になる方法を伝えています。


叡智がご参考になりますように。




サイキック的な困難は数多く存在するが、それらは三つの一般的な範疇に分けられる。 ①センターの時期尚早の目覚めから起こるもの。 この場合、そのサイキック能力者は自らの能力を全く統御することができない。彼は、一般の人々が見たり聞いたりできないものを自分が見たり聞いたりしているのを知っているだけである。彼の問題は物質界とアストラル界を意識して、同時に生きていることである。彼には見たり聞いたりするのをやめることはできない。そのため、 彼の生活は極めて複雑なものになる。(以下省略) ②肉体とエーテル体のつながりがしっかりとしていないことから生じるもの。 これは、霊媒行為, 何らかの種類の存在による支配、トランス状態、多くの種類の一時的、もしくは永続する憑依などといった様々な局面を生み出す。(以下省略) ③サイキック能力者を取り囲む印象、状態、雰囲気に対して極端に敏感であることを示すもの。 この敏感さは何となくはっきりしない性質のものであるため、定義するのは難しい。(以下省略) 秘教心理学第二巻(下巻)P.216-217

最後に、「自分で自分の体を守る」ためには、まず自分の体を、誰よりも自分が一番愛して、大切にすることでしょう。


くわえて、他者の体には、十分な敬意を払うことで「自分の体を放棄したくなるような現実を作らない」ことが、本当に大切だと思いました。戦争や暴力、見知らぬ者からであれ、知り合いからであれ、身体への脅威は、魂から器、家、領土を奪うような行為。魂の王国を地上につくるためにも、自分の、そして他者の身体を、魂の器として大切に扱えますように。


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