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執筆者の写真中西れいこ

52ヘルツのクジラたち

更新日:3月14日

映画好きのエナジーワーカーが解説する「映画deエナジーワーク」

週3回は映画館に通うエナジーワーカーれいこさんの映画通信。

多少のネタバレはあるので、読みたくない方は鑑賞後にどうぞ。








52ヘルツのクジラたち 3/3 品川Tジョイプリンス


52ヘルツのクジラ…というクジラの存在を始めて知った。映画のタイトルが「クジラたち」なので誤解が生じるが、この52ヘルツのクジラは「たった一頭のクジラ」であり、52ヘルツの周波数はアメリカ海軍や研究者たちによって1990年代から記録されている。姿を見た者はいないが、おそらく「たった一頭」であろうと推測されている。ザトウクジラなのか、新種のクジラなのかも不明である。映画でも説明あるように「他のクジラが出す52ヘルツ以下の周波数と合致しないため、この声はクジラの群れには届いていない」ということらしい。でも孤独なのか?はクジラにしかわからない。もしかしたら、一匹で呑気に自由を謳歌しているかもしれないけど・・・


原作は、その事実を上手につかって、「この社会にいる、叫びをきいてもらえない者」に光を当てているため「クジラたち」と複数になっている。つまり社会の問題の当事者をフルコースで順番に差し出される展開だ。描き方は同じタイプの作品である「夜明けのすべて」とも違う。ストレートで複雑で展開が早い。これは芥川賞がお好きですか?それとも直木賞?の違いであって、どちらも当事者に真摯に向き合っているからこそ、希望に満ちた作品になっている。


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社会問題の当事者を「見世物」のようにして観客を呼び込む作品があるが、私は好きではない。それでも、私自身が「見てよかった作品」と感じる作品には「苦しさや傷の向こうに、それでもある希望に、自然に寄り添えているか」という本質がある。そこからすると「クジラ」も「夜明けのすべて」も、どちらも「希望/光」を感じられて、出会えてよかった作品だった。


俳優も撮る側も、当事者に寄り添ってこそリアルな場面が撮影できるし、当事者に寄り添っていれば、人間として善意が刺激されて「希望あるシーンをとりたい」「光をこめたい」と望むものだと、私は信じたい。


実際にトランスジェンダー当事者が監修スタッフとして俳優に指導、現場でたちあったそうだ。エンドロールにも確認できる。監修者が立ち会える撮影現場になるかは、監督やプロデューサーの力量であり、彼らの意識が明白になるところ。映画人として「面白いものが撮れればいい。売れるものが」という意識なら、監修者は呼ばれないだろう。


映画の黎明期では「面白い」のが当たり前だったが、いまは「面白い」は過渡期だと思う。だから観客として「この監督なら信頼できる」映画を、私は観たいと思う。監督を選ぶって、とても大切だ。社会問題を取り扱うのは、本当に難しいから。


*実際に「52ヘルツのクジラたち」のウェブサイトでは注意喚起されています。








「52ヘルツのクジラたち」に参加した3人の監修者たち:トランスジェンダー監修:脚本から参加し、トランスジェンダーに関するセリフや所作などの表現を監修/LGBTQ+インクルーシブディレクター:脚本から参加し、性的マイノリティに関するセリフや所作などの表現を監修/


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そして、観客として。虐待や性障害などへの偏見は「ない、私は差別者ではない」と思っていも、実際に当事者に会ってみたら、いろんな感情や反応が内から湧き出ることがある。でも当事者に会う機会は、日常で多くあるものでもない。だからこそ、映画は「自分の内を点検する機会」になる。映画が終わったあと、差別している自分に気づけたら、それはそれでよかったですね。実際の人生で、当事者を前にして気づくより楽だし、誰も傷つけません。映画に感謝だ。


エナジーワーカーのみなさんは、着席したら映画が始まるまで、グラウンディングとセンターオブヘッド(魂の視座)をお忘れなく。虐待シーンも多いけれど、魂の視座から鑑賞したら、この映画にはたくさんの希望があることが、伝わるでしょう。「頭の中心にいる」と、人の善、美、真実を感じられるようになります。


最後に…ポスターにも載ってる「愛(通称52)」役の子役俳優、神がかった演技なのに、映画初出演とは!しかも本人がヘアードネーションを望んで、長髪は地毛だったそうです。

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